第一章◆小国
09
城内に雪がちらついている。トリアスは服も着替えずに中庭に出ていた。
青い瞳がゆっくりと辺りを見渡していく。美しく整えられた草木も、今は雪の静かさに埋もれ、花は一つも咲いていない。一歩踏み出すときしりと音がした。
トリアスは長いことその場に立ち尽くしていたが、ふと気づいて右の手のひらを上向きにした。待ち構えていたように雪が一片舞い落ちる。冷たかった。
「王、」
その背後に若い女性が現れた。大きな丸眼鏡の奥からトリアスをじっと見つめている。
「王、折角具合が良くなったというのに。そんな薄着では風邪を引いてしまうわ」
「……確かに寒いな……」
トリアスは白い息を吐いた。
「でしょう? 部屋に戻るか、上着を羽織るかしないと……」
女性はぱっと表情を明るくした。今まで寝たきりだったトリアスから、きちんと返事が返ってきたことがうれしいのだ。
「先程、雪に触ったよ」
独白のようにトリアスが言った。
「自分に手足というものがあることを忘れていた。私はどうも、まだ寝惚けているようだね」
「あれだけ長い間寝ていたんだもの。当然よ」
「君が看病してくれたおかげでこうして起き上がれるようになった。ありがとう」
トリアスが頭を下げると、女性は慌てて眼鏡をかけなおすふりをした。直接顔を見ることができずに、トリアスの肩や胸の辺りに視線を泳がす。
「別に、わたしは何も……貴方の運が良かったのよ。医者もそんなことを言っていたわ」
そこまで言って、女性ははっと息をのんだ。トリアスは裸足だった。
女性の視線を辿り、トリアスもああ、と頷く。
「靴がどこにあるか分からなくてね……」
「なら誰かに尋ねればいいでしょう!」
「それもそうだね」
トリアスはかじかんだ自分の両足を見下ろした。女性は呆れるやら困惑するやら、寝たきりだったせいで色の抜けたトリアスの足元に跪いた。
爪先が真っ赤になっている。
「痛そうだわ」
「そうでもないけどなあ」
「馬鹿おっしゃい」
女性が眉を寄せると、トリアスは驚いて目を丸くした。それまでずっと夢見心地のような表情を見せていたのが、急にはっきりとした輪郭を形どる。
トリアスは女性のことをうれしそうに見つめた。
「そんなことを言われるのも、久しぶりだな」
「え?」
「ようやく目が覚めたようだ……」
顔を上げた女性とは目を合わせず、トリアスは白い空を仰いだ。
青空が見たいと思った。眠りながら、長く夢見ていた故郷の空だ。
「王……」
その背に女性の呟きは届かなかった。降り続ける雪が、目の前を白く塗り潰していった。