第一章◆小国
01

「殿下!殿下はまだ見つからんのか!」
 王都セントセシリアにあるク=クール城では、急遽元老院が召集されていた。号令をかけたのは元老院議長ルイ・ハデックと、宰相ニコラス・バジルである。
 本来なら国王も参加するはずの議会だが、いまだにその姿は玉座になかった。
 高い天井の大広間で、議員たちは右往左往している。
「宰相殿、陛下はまだ……」
 少々焦ったような表情で、ルイは隣に座るニコラスに声をかけた。王の姿が見えない上、先の知らせでは殿下の行方も分からなくなっているという。さすがに不安を感じずにはいられなかった。
「殿下はまた城下へ下られたのでしょうか。兵など差し向けて、一刻も早くお戻りになって頂かなければ……」
「そうすると多少、大事になるかもしれませんね」
 ニコラスは手元の書類から視線を上げ、ルイを落ち着かせるように微笑した。
 短く切った茶髪に、細い型の眼鏡をかけている。
「しかし宰相殿。王位第一継承者の殿下とはいえ、この時期に勝手に出歩かれるのは……もう『供養祭』も間近だというのに」
「いきなり兵を街に送れば、折角のお祭り気分も冷めてしまうでしょう。城下は今、他国からの商人で賑わっているところですから」
 ルイはぱちぱちと目を瞬いた。
「あ……そ――そうですな。あまり騒ぐのはいけませんな」
「いつもの殿下の気まぐれですよ。もう陛下が手を打たれたでしょう」
 ニコラスは何の心配もしていなかった。殿下のお忍びはよくあることである。誰にも言わず、一人で出かけてしまうため、こうして騒ぎになってしまうのだ。
 ルイは安堵の溜息をつき、どっかりと椅子に腰を下ろした。
「いやあ、申し訳ない。取り乱してしまいましたな。宰相殿はお若いのに随分落ち着いていらっしゃる……」
 書類を読み出したニコラスに驚嘆の眼差しを向ける。すでに五十を超えたルイに対し、ニコラスは十九と若かった。
「殿下が城を抜け出すのは昔からですからね。もう慣れてしまいましたよ」
「はあ確かに。行動力があると言うべきですかな」
「あり過ぎるのも考えものです」
 ニコラスは肩を竦めた。
「違いありません。さて、この場をどう収めるか……」
 ルイは辺りを見渡した。議員たちは席に座らず、数人ずつ固まって話をしている。
「最近、落ち着きがありませんね」
 ニコラスは書類の向こう側にその様子を見ていた。供養祭が近づくと、毎年城の空気の質が変わる。今年は特に、先代の国王が没してから七年目だ。最後の供養祭である。
 議員たちの中から何か動きが出る、とニコラスは踏んでいた。当代の国王より、先代に仕えていた年数が多い者たちばかりだ。この国が完全に新しい時代を迎えるには、まだ時間がかかる。
「申し上げます!」
 大広間の入り口に、カーキ色の服を着た兵士がやって来て敬礼の姿勢をとった。
「宰相ニコラス・バジル様へ伝言がございます。よろしいでしょうか」
「いいよ、入って」
 ニコラスが合図すると、兵士は足早に入室した。ニコラスの前で一礼する。
「誰からの伝言かな?」
「はい、なゆた様からです」
 兵士が答えた瞬間、周りの議員たちがざわついた。ニコラスは手振りで先を促す。
「伝言は『殿下の行方が分かったので、迎えに行ってくる。四月三日までには帰ります』とのことでした」
「その伝言は君が?」
「はい、城を出るなゆた様から、直接」
「分かった。ありがとう」
 兵士が退出すると、ルイはほっと胸を撫で下ろした。なゆたというのは殿下の付き人である。
「どうやら、一件落着のようですな、宰相殿。……宰相殿?」
 しかしニコラスは浮かない表情だった。珍しく眉を寄せている。重ねてルイが呼びかけると、ニコラスは苦笑を見せた。
「なゆたはおっちょこちょいですからね。伝言を考え付いたのはいいんですけど」
「四月三日には帰ると言ってましたな」
「肝心な行き先を言ってないんですよ」
 溜息をついた。ルイもやっと気づいたようだった。
「おっちょこちょいでしょう?」
「ですな……」
 ルイは机の小槌を手に取り、かんかんかん、と三回鳴らした。
 議員たちがのろのろと席へ戻っていく。
「さて」
 ルイの視線を受けて、ニコラスが頷く。
 玉座の裏から、王が飼っている黒豹キアラがするりと姿を現していた。議員たちを見下ろし、低く唸る。
 大広間の全員が注目した。
「……陛下のお出ましだね」
 大理石の床を革靴で進む、甲高い足音が近づいてきていた。



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