第一章◆小国
03

 オルトがギガを伴って客室を訪れたとき、そこにはロビンが一人いるばかりだった。アンジェラの姿は見えず、部屋の奥の窓が開け放され、カーテンが大きく揺れていた。
「おいロビン、殿下はどうした?」
「……先に下へ」
 ロビンはベットの端に座って荷物をまとめていた。片腕で抱えきれるような小さなものだ。
 オルトはその様子を一瞥すると、ギガの肩を掴んで前へと押し出した。
「ロビン、サンマリアの領主のところにはこいつを案内につける。あまり大所帯で行くと目立つからな。供養祭やら何やらで人手も足りてねェんだ」
 ギガがうえっと変な声を上げた。
「隊長、何すかそれ。聞いてないっす」
「うるせェ、今手が空いてんのはお前だけなんだよ」
 ぐずるギガの頭を後ろから叩く。
「先方にはもう連絡をいれてある。いいな、ギガ。行け」
「えー……」
 ロビンが荷物を背負って腰を上げた。くるりと踵を返し、窓を閉めたかと思うとギガの前まで行って頭を下げる。
 ギガはぎょっと目を丸くした。
「お願いする」
 さすがにギガも黙り込んだ。年下のロビンの方が大人びている。
「よし、それじゃさっさと行って帰ってこい」
 オルトはそう言い残して立ち去った。ギガが敬礼して見送る。オルトの背は執務室ではなく下へ降りる階段へと消えていった。
 いつの間にかロビンが隣に並んでいた。
「んーまあ、そういうことでよろしくロビン。俺はギガ」
「よろしく頼む」
「おう。よろしくなー」
 ギガはにっと笑った。二人で部屋を出る。
「で、領主んとこにはどうやって行く? 馬も一応出せるけど。あーでも、殿下もいるならやっぱ徒歩のほうがいいかー」
「アンジェラは……」
 階段を下りきったところにアンジェラが立っているのが見えた。
 左肩に鞄をかけ、右手ではすでに馬の手綱を引いていた。少し離れたところにもう一頭、茶毛の馬がつないである。
 アンジェラはギガとロビンに向かって手を振った。
「ロビン! ギガ! 待ってたわよ」
「あれ? 姫様、俺の名前ご存知なんすね」
「さっきオルトが馬を連れてきてくれたの。さあ、早速出発しましょ」
 ギガに手綱を手渡しながら言った。オルトはこういうことに関しては手が早い。
「隊長から聞いたんすか。あ、踏み台持ってきます?」
 乗馬には不慣れだろうとそう申し出たギガに、アンジェラは首を横に振った。おもむろに鐙に足をかけると、素早い動きで軽々と乗馬する。
 王族の姫とはいえ、馬の扱いは慣れたものだった。
 アンジェラは白いシャツに丈の短いズボンと、ほとんど男装に近い格好をよく好んで着ている。
「ロビン、あなたは大丈夫?」
 アンジェラが振り返ると、ちょうどロビンが茶毛の馬にまたがったところだった。
「行き先はサンマリア領主の館……でいっすよね」
 ギガは帯剣した腰に手を当て、馬上のアンジェラを見上げる。
「申し訳ないっすけど、街中とことこ歩いていくわけには行かないんで、あんま人のいない道で行きますね。一時間ぐらいで着きますんで」
「あら、『禁足地』を通れば三十分で着くじゃない。人目にもつかないし、そっちから行くわ」
 アンジェラが乗った黒毛の馬がブルル、と鼻を鳴らす。
 禁足地とは、この西大陸の国々をぐるりと取り囲む国境代わりの森のことだ。巨木と灰色の霧が立ち込める深い原生林――獣とは種を異にした魔獣の棲家だった。
 その中を通り抜けるには魔獣と戦わなければならない。国と国を行き交うときには、護衛を雇って旅をする。アンジェラは大胆にも関所から禁足地へ出て、街の周縁を沿うようにして移動しようと言っているのである。
 ギガは驚いて思わずアンジェラの顔をじろじろと眺めた。一国の姫君がやすやすと口にするような提案ではない。世間知らずにも程がある。護衛らしい護衛はギガ一人しかいないのだ。
「言うっすね、姫様。魔獣に襲われるかもしれないっすよ?」
「この地方では魔獣の被害は少ないと聞いているわ。違う?」
「他より少ないってだけっすよ。俺が北関所に回されたとき、巡視で魔獣と戦って怪我したとか死んだとか、そんな話山ほど聞かされたっすよ」
 するとアンジェラはにっこりと笑った。
「わたしね、実を言うとそういう危ないこと、一度やってみたかったの。王都だと兄様が許してくれなくって」
 ノア山脈から吹き下りてくる風が金色の髪を滑らかに揺らしている。
 ギガは反論しようとして、結局口をつぐんだ。自慢じゃないが、これでギガも軍法会議にかけられる常連である。
「度胸試しってわけすか。後悔しないでくださいよ?」
 アンジェラは笑みを崩さなかった。



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