第一章◆小国
08

街外れの畑は一面黒色だった。数刻前までは色鮮やかに咲き誇っていたはずの花が、魔獣の毒気に当てられて全て枯れてしまっていた。僅かだが、澱んだ空気の中に生臭さが混じっていた。
 アンジェラは馬を降りると、畑の柵に手綱を結び付けて、周囲を見回した。
 畑は日当たりのいい丘の中腹にあり、ここから街の市場まで花を出荷していたという。街から離れている分、禁足地には近かった。
「……酷いわね……」
 枯れた花を拾い上げてみると、それはまだ蕾の薔薇だった。
 そっと指で触れただけで、ぼろぼろと崩れ落ちていく。手の中に残ったのは塵だけだった。
 畑の斜面を登り、中頃のところで立ち止まった。振り返ると正面に街、右手側に禁足地が見える。
 あそこから魔獣が来たのか、と禁足地を見つめていると、上の方から鍬を持った少年が下ってきた。教会堂に助けを求めて駆けこんできた、あの少年だった。
 少年もアンジェラに気がついたらしく、怪訝な顔をして立ち止まった。
「お前、さっきフィラと一緒にいた……何でこんなとこにいるんだよ」
「アレートが魔獣に襲われたっていうから。その場所を見に来たの」
 それを聞くと、少年は無遠慮な目付きでアンジェラを足先から頭の天辺まで眺め、顔を顰めた。
「何だよ、冷やかしにわざわざこんなとこまで来たのかよ。仕事の邪魔すんならさっさと帰れ」
「あら、随分な言い方するのね」
 アンジェラはむっとして少年を真正面から見つめた。
「あなた、アレートのお友達? お仕事って、何をするの?」
「決まってんだろ。畑だよ。片づけないと、新しい花植えられないだろ」
 少年はアンジェラの横を擦り抜け、畑を下り始めた。
 その後を追う。
「じゃああなた、アレートと一緒にお花屋さんで働いてる子なの? でも、さっき市場で会わなかったわね」
「知るかよ。大体、お前こそ誰だよ。サンマリアの奴じゃないだろ」
「教えないわ。わたし、あなたのこと知らないもの」
「はあ?」
 少年が振り返った。アンジェラは両手を腰に当てる。
「人に素性を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀よ。ご両親から教わらなかったの?」
「……別に知りたくもねーし!」 
 そう言い放つと、少年は足早になって斜面を駆け下りていった。アンジェラから一番離れた畑の隅に行くと、鍬を振り上げ、耕し始める。
 乱暴な口調やきつい目付きとは違って、少年の髪はアンジェラと同じ金髪だった。歳も、割合に近いだろう。あ、と思い当たることがあって、斜面を小走りで下った。
「ねえ。ねえ、あなた! 学校はどうしたの? まだ終わる時間じゃないでしょ?」
 少し大きな声で呼びかけると、少年は鍬を振り上げた姿勢で固まった。視線だけアンジェラに向ける。
「お昼に、アレートもお花屋さんで仕事してたわ。学校、行ってないわよね」
「……あいつは行ってねえよ」
 力任せに鍬を振り下ろした。
「授業料が払えないってんで、自分から辞めたんだよ。代わりに花屋で雇ってもらって働いてる」
「自分からやめたの? どうして?」
「母親が病気で、治療に金が必要なんだよ。あいつん家、母親と二人きりだから。……お前みたいなお貴族様には分かんない話だろうけどな」
 少年は棘棘した口調でそう言うと、アンジェラを睨んだ。
「どうしてわたしが貴族だって、あなたに分かるの?」
「耳のピアスを見れば、誰だって分かるだろ」
 思わずアンジェラは両耳に手をやった。小さなものだが、水晶細工のピアスを付けていた。
 この国では水晶を身につけることのできる者は限られている。王族か、その近くに仕えている貴族、そしてフィラにしか許されていなかった。
 アンジェラが黙ると、少年は気が済んだとばかりに畑仕事に戻った。鍬を振り下ろす度に、今までアレートが丹精込めて育ててきた花が塵となり、土と混ざっていく。それを見ていると、やり切れない思いがこみ上げてきて、ぽろりと口から零れ出た。
「こんなんじゃ……もう領主様も、花なんか買ってくださらないだろうな」
 アレートの花はサンマリアでは有名で、ローレンシアの館からも時折声がかかり、売ることがあった。学校を辞めてまでアレートが働いているのも、母親の病気の治療代を稼ぐための他に、そういう支えがあったからだった。
「あら、領主様って、ローレンシア様?」
「他に誰がいるんだよ。お前、そろそろ本当に帰れよ。魔獣が出たらお前なんかあっという間に食われちまうぞ……何やってんだ?」
 少年が顔を上げた先で、アンジェラは何やら畑を掘り返していた。手が汚れるのもお構いなしである。
「何って、見れば分かるでしょ。掘ってるのよ」
「見ても分かんねえよ。耕してるつもりかよ?」
「花は地面から出たあとに咲くものでしょ。だから、もしかしてって思って……」
 アンジェラは掘った穴から土の塊のようなものを取り出した。服に摺り付け、汚れを落とす。それを掌に転がして少年に見せた。
「ほら。土の中なら、大丈夫だったのよ」
 アンジェラが堀り出したのは、まだ芽が出たばかりといった球根だった。
 枯れていなければ、手で触れて塵になるわけでもない。土を落とした表面は白かった。
「まだきっと、探せばあるわね。薔薇ではないけど、ローレンシア様にはこのお花を差し上げればいいんじゃないかしら。どう?」
 ぽん、とアンジェラは少年に向かって球根を投げ渡した。
「……お前に言われなくったって、アレートなら上手く育てるに決まってんだろ」
「そうよね。あなたにはちょっと無理そうだけど」
「お貴族様に言われたくねえよ」
 アンジェラは少年の鼻先に人差し指を突き付けた。
「わたしの名前はお前でもお貴族様でもないの。アンジェラよ。今すぐ覚えてちょうだい」
「……別に知りたくもなかったし」
 少年はそっぽを向いた。アンジェラは頬を膨らませる。
「わたしはきちんと名乗ったわよ。名乗り返すのが礼儀というものじゃないの?」
「礼儀ってのは強要されてするもんじゃないだろ。お前が勝手に名乗っただけだし」
「筋が通っていないわ。あなた、礼儀を尽くす相手を選り好みするような人なの?」
「お貴族さまこそそうだろ。礼儀を尽くすのは、いつだって自分より偉い奴だ」
 二人が言い争っているうちに、複数の馬が近付いてきていた。先頭にいるのはギガだった。その後ろに、物々しい装備をした兵士が四人ほど続いている。
 ギガは畑の前で下馬すると、アンジェラに大きく手を振った。
「あ、いたいた。姫様ー、勝手に出歩かないでくださいよー。帰りますよー」
「今わたしはそんなことを話してるんじゃないの。あなたのことを言っているのよ」
「口煩いのはご両親とやらの教育かよ? 大体お前は偉そうにしてるけどな、」
 アンジェラと少年の口論は長く続いた。ギガは仲間にそこで待つように合図すると、畑を登って行き、二人の間に割り込んだ。
「はいはーい。喧嘩はそこまでっす。この辺りは警備を強化しますんで、一般人は立ち入り禁止になりまーす」
 アンジェラは初めてギガに気づいたという顔をした。
「あらギガ。オルトへの報告は終わったの?」
「終わったっすよ。アレートの怪我も大したことなさそうでしたけど、一応巡視を増やすことになったっす」
 ほらあれ、とギガは四人の兵士を指差した。
「でも姫様、俺が戻ってくるまで教会堂で待っててくれって言ったじゃないっすか―。なんでこんなところにいるんすか」
「畑の様子が気になったの。もう行くわ」
 アンジェラは踵を返し、畑を下った。柵に繋いでいた馬の手綱を外す。
 後ろからギガが追いかけてきて、轡を取った。
「行くって、どこにっすか?」
「アレートの家よ。今は教会堂で治療を受けているから、家にはお母様お一人でしょう。ギガ、案内をお願い」
「あー、成程。了解っす」
 ギガは自分の馬に乗り、アンジェラを先導するようにして街に戻って行った。
 巡視の兵士たちは禁足地の方向へ馬を走らせていき、後に残ったのは少年一人だった。
「……姫様?」
 そう呟き、颯爽と馬に跨って立ち去ったアンジェラの後姿を目を丸くしながら見送っていた。



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