第一章◆小国
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「あーもーむかつく!」
 教会堂の一室で、アレートの見舞いに来ていたレオはそう叫んで机を叩いた。
「あのアンジェラってやつ、人を上から見下しやがって! これだから貴族は嫌いなんだよ! 何が名乗り返すのが礼儀、だ。そっちが勝手に名乗っただけだろーが」
「でもその子、お姫様なんだろ? 実際、僕らより身分は上なんじゃないの?」
 アレートは苦笑しながらベッドの上で半身を起こした。魔獣に襲われたときについた右腕の傷も、今は綺麗に包帯が巻かれている。
 まあ食べなよ、と籠に入った焼き菓子を勧めると、レオは不機嫌そうな顔をしながらも、のそのそと受け取って口に運んだ。
「お昼に店で花を買ってくれた子がいたけど、たぶんその子がレオの言ってるアンジェラ姫殿下なんだろうなあ。すごい偶然……というより、何で王族がサンマリアでお忍びで来てるんだろ」
「知るかよ。ポー伯父さんとこに来たっていうから、領主様になんか用事があったんじゃねえの」
 レオはもう一つ焼き菓子を手に取り、椅子の上で胡坐をかいた。
 ローレンシアに仕えるポーは、レオの母の兄、つまり伯父にあたる人物だった。母は既に亡くなっているので、レオの親代わりということになる。
「領主様に? もう供養祭も近いのに、妙な話だなあ」
 アレートは首を傾げたが、行儀の悪い友人はあっさりと「だからだよ」と言った。
「領主様は先代の王様のお妃だったけど、供養祭に出たこと一度もないだろ。だからあのお姫様が呼びに来たとかそういう………なんだよアレートその顔は」
「いや別に」
「はあ? ……まあそういうことだろ、結局は。今思い出しても腹立つけどな、あのお姫様」
 アレートは曖昧に笑った。ポーの影響だろうか、レオは貴族嫌いといいつつよく知っている。
「でも、それなら息子の王様が来そうなものだけど。確かアンジェラ様は第二王妃の御子で、領主様との間に血の繋がりはなかった筈だし」
「ふーん……ま、どうでもいいけどな。それよりアレート、怪我は大丈夫なのかよ」
 アレートは包帯を巻いた右腕をレオに見えるように動かした。
「なんとかね。フィラもしばらく休めば大丈夫だっておっしゃっていたし、きっとすぐに治るよ。魔獣に襲われた時は随分怖かったけど……」
 最近になって、サンマリアでは魔獣の出没が増えていた。
 アレートのように畑が禁足地に近いこともあるが、白昼堂々現れて人を襲ったのは今回が初めてだ。
 レオは白い包帯をじっと見つめた。アレートが教会堂に運び込まれたとき、ぱっくりと裂かれた傷口からは黒い血が流れ出ていた。
「やっぱり魔獣ってそんなに恐ろしいもんなのか?」
「うん……魔獣を見た瞬間、体中の血が凍ったような気がしたよ。なんだか、目に見えない力に押さえつけられて動けなくなってしまって。あれが魔力ってやつなんだろうなあ」
 アレートは身震いをして右腕を擦った。
 レオがぽつりと呟く。
「そういや、俺も畑にいったとき、ちょっと悪寒みたいなのは感じたな。花も全部枯れてたし」
「そっか。これじゃ店長にも迷惑かけちゃうなあ」
「ま、あのお姫様は何も感じてなかったみたいだけどな。鈍そうだったから仕方ねーけど」
 そう言って唇を尖らせる。アレートは思わず吹き出した。
「ほんと、レオは貴族嫌いだなあ。僕にはそんなに悪い子には見えなかったけど」
「ポー伯父さんみたいに誰かに一生捧げて仕える、みたいなのが嫌なんだよ。しかもその一生を捧げる相手があんな煩いだけのお姫様だったら、とか考えるとなおさらむかつく」
「そういうものなのかなあ」
 レオは横を向いて暗くなりかけた空を窓越しに見た。
 いつかこの国を出て、自分のために働いて暮らしていくのが夢だった。
「――……お連れの方々なら、先程こちらにお寄りになられました。アレート君の家にいると言付けを頼まれています」
 部屋の外からフィラが誰かに話しかける声が聞こえてきた。
「誰だろ……巡礼の人かな」
 アレートが部屋の扉に目を向ける。するとレオが素早く椅子から立ち上がり、扉を薄く開いて外の様子を窺った。
 廊下の曲がり角からフィラの白い祭服が見えた。
「……そのアレートの家は」
 レオと同じ年頃の少年がフィラに続いて姿を現す。旅装束に小さな荷物を背負っていた。静かな足取りでフィラと並んでこちらへ歩いてくる。
「ああ、アレート君なら今この教会堂にいます。彼に聞いてみましょうか」
 フィラと言葉を交わす少年の足元は土で汚れていた。
 アレートが怪訝そうに背後から呼びかける。
「レオ? どうかした?」
「いや……もしかしてと思ったんだけど、」
 言いかけ、レオははっとして扉から身を離した。
 顔を上げたロビンが陰気な目付きでこちらを見つめていた。



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