第一章◆小国
13

 深夜、ギガはオルトの執務室を訪ねた。オルトは行儀悪く足を組み、その上に電話を乗せて受話器を握っていた。
 ギガを片目だけで睨む。
「戻ったな。殿下たちはどうした」
「もうお休みになってるっす」
 ギガは敬礼し、それから相手の様子を窺うように首を傾けた。
「あのー、それで今日報告した件なんすけど」
 オルトが机の上の書類を顎で指した。それを手に取り、ざっと目を通す。
「……パトロ・ラーグ?」
「そいつがそのナリア母子が住んでいる家の大家だよ。そいつが一年ぐれェ前から王都に行ってて不在なもんだから、代わって息子のロリスがお友だちと一緒に取り立てやってるらしい」
「話聞く限りじゃ、あんまりいいお友だちじゃなさそうっすけどねえ……」
 書類を置き、煙草をくわえたオルトを見た。
 オルトは面倒くさそうに眉を寄せる。
「ま、お前がアレートとかいうガキの家をうろちょろしとけばそうそう手ェ出して来ねェだろ。一応軍人だしな」
「一応って何すか一応って。でも隊長、それだけで大丈夫っすかね? こっちから先に手、打っといたほうがいいんじゃないっすか?」
「血の気が多いんだよ、てめェは」
 燐寸を投げつけると、ギガは手慣れた仕草でオルトが差し出す煙草に火を点けた。シュッ、と音がしたのと同時に煙が一筋立ち昇る。
「わざわざ喧嘩売るような真似はすんじゃねェぞ。ごろつき共に殿下の身元が割れてみろ、後々面倒だろうが」
「はあ……それもそうっすねー」
「どうせ向こうから手ェ出してくるだろ。そんときゃ好きにしていい」
「まじっすか。了解っす」
 もう一度敬礼したギガだったが、あ、と思い付いて机に両手をつき、オルトのほうに身を乗り出した。
「それと、なゆたのことは何か分かりました? 姫様のこと迎えに来たって言ってましたけど」
 ギガの好戦的な目に気づいてオルトは溜息を吐いた。
「ったくてめェは……今それを聞こうとしてたところなんだよ」
「あ、シャーレっすか」
 オルトはノア北関所に着任する前にはユシード東関所の隊長を務めていた。シャーレはその頃の部下である。ギガと違ってよく気の利く兵士だった。
 そのシャーレに電話をかけると、深夜にも関わらず溌剌とした声で『はい、こちらユシード東関所、』と本人が電話口に出た。
 事情を説明すると、シャーレは電話の向こうでああ、なゆたさんのことですか、と頷いていた。
「知ってんのか。どういう素性のもんだ?そいつは」
『彼女は……そうですね、一年ほど前にユシードに来ています。ミラージュ様のところに一時居候していました。腕の立つ人ですよ。なんでも方術とかいう武術の使い手だそうで』
「方術?」
 聞き慣れない言葉だった。ギガも興味津津といった様子で聞き耳を立てている。
『はい。俺も詳しくは知らないんですが……』
「構わねェ。話せ」
 シャーレがにこっと笑ったような気配がした。
『方術というのは東大陸独自の武術のようです。人間の体には気という目に見えない力が廻っていて、それを操る、といった武術らしいですが』
「西大陸でいう魔術みたいなもんか?」
『ミラージュ様は違うとおっしゃっていましたけど……こっちの関所で手合わせをお願いしたときは普通の体術にしか見えませんでした。誰も勝てませんでしたけど』
「単にてめェらが怠けてたんだろうが」
 言いながらオルトは煙草をふかした。シャーレがかもしれませんねえ、と苦笑いをする。
『それでミラージュ様がなゆたさんを殿下の護衛兵として王都に送ったんです。勿論東大陸の人間ですから秘密裏に。俺が知っているのはこれぐらいです』
「やっぱりあの姉ちゃんが関わってやがったか……ま、異邦人を推薦するような奴は他にいねェだろうがよ」
 ミラージュはユシードの街で暮らしている占師だ。数少ない魔術師の一人であり、王室との繋がりも深い。ミラージュが推していなければ、異邦人のなゆたがアンジェラの側に付くことは許されなかっただろう。
「……へえ、やっぱり強いんすね、あいつ」
 なゆたとの手合わせのことしか考えていなさそうなギガを横目に、オルトは話題を変えた。
「それで、今朝も電話した件なんだがな、シャーレ」
『はい。どうぞ、先輩。指示をお願いします』
「ふん。連絡が取れ次第知らせろ。もっとも、殿下の迎えが来てるんなら無駄骨かもしれねェがな」
『了解しました』
 最後にそう言って電話は切れた。
「ギガ」
「はい?」
「報告は以上か?」
「ええ……まあ」
 ギガは腕を組んで首を捻った。
「そうだ、領主様に会って、それから姫様何にも言わないんすよねー。妙だと思いませんか、隊長」
 オルトは白い煙を吐き出した。
「馬鹿かてめェは。お偉いさん方のやり取りにいちいち護衛が口突っ込んでどうするよ」
「ええー、でも隊長、妙なのはそれだけじゃないっすよ。いきなり姫様が領主様を訪ねたのもそうだし、その連れがロビンだけってのも不用心だし。それに、」
 口を飛び出しかけた言葉を飲み込んだ。灰皿を取ろうとしていたオルトが視線を上げる。
「それに、何だよ」
 上司の顔を真正面から見て、ギガはしどろもどろになった。
「え、えーと、あの、隊長は魔獣を退治したことあるんすか?」
「退治はしなかったがな。追い払う真似ぐれェはしたことあるぜ。それがどうした」
「……気持ち悪くなったりしました?」
 オルトは机に両肘をついた。ギガを睨み上げる。
「悪寒は感じたな。さっさと本題を吐けギガ。部下の面倒臭ェ質問にいちいち答えてやる上司なんて俺ぐれェのもんだぞ」
 それでも口ごもるギガに対し、オルトはしびれをきらせて言い放った。
「てめェが殿下たち連れて禁足地通ったことはとっくにばれてんだよ。ぐずぐずしてねェでさっさと吐きやがれ」
 ギガの背筋がびしっと伸びた。
「や、別に大したことじゃないと思うんすけど、姫様の反応がちょっと変だなーっと」
「反応?」

「平気そうでした。魔獣を見たのに」

 適当に相槌を打つことも出来なかった。
 灰皿に煙草を押し付ける。
 火が消える。
「……ま、確かにしっくりこないこたァ多いがな。ギガ、てめェは殿下の身の安全を第一に考えて張り付いてりゃそれでいい。それかあれだ、あのなゆたって奴との手合わせのことでも考えてやがれ」
「た、隊長って話ごまかすの下手っすよね……」
 俺そこまで馬鹿じゃないっす、と頬を膨らませるギガの頭を叩いた。
「うるっせェなてめェは。今日の一件、これで水に流してやるっつってんだよ。ありがとうございますの一言ぐらい言ってみようたァ思わねェのか」
「み、水に流すって何すか。俺なんかしましたっけ?」
「しただろうが。殿下連れて禁足地に入った上、魔獣と遭遇したたァ冗談ですむもんもすまねェぞ」
「だってそれは姫様がー……」
 一度目より強く叩くと、さすがのギガも口を閉じた。
 オルトは深く椅子に腰かける。
「今後一切殿下を森に近付けんな。あれがばれたらてめェも俺もただじゃあすまねェぞ」
「はーい……」
 ギガは叩かれた頭を撫でつつ返事をした。
 煙草を吸いこみ、そして吐きながらオルトは窓の外を見た。灰色の霧が暗い闇の中に充満していた。



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