第一章◆小国
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 アンジェラの一行がサンマリアを出発した次の日、日も落ちようかという頃になってオルトの元に一人の客人が現れた。ローレンシアの執事で、レオの伯父でもあるポーが執務室に入ってきたときには、さすがのオルトも驚きのあまり銜えていた煙草を取り落してしまった。思わずポーをまじまじと見つめる。
 ポーの腰には剣がさげてあった。
「物騒なもんぶらさげてんな、ポー。とうとう下剋上でもするつもりになったか?」
 オルトの軽口にポーは目付きを鋭くさせ、すすめられもしないのに空いている椅子へと腰をおろした。
「くだらない。私の誓約をお前は知っているはずだが」
「そう睨むんじゃねェよ。お前がこっちに来るのは珍しいじゃねェか。軽い冗談だ」
「そのことも含め、くだらないと言ったんです」
 ポーは昔話をしに来たのではなかった。オルトが手を振って先を促すと、ポーは険しい表情を崩さず、堅い声で話し始めた。
「ロビンという少年がここにいますか」
「ロビン? 確かにいたが……あいつが何かやらかしたか」
 もしやアンジェラのことを追及されるのでは、と内心身構えていたオルトには意外な人物の名前だった。じろりと睨まれる。
「やらかした? ――私がローレンシア様への無礼を許すと?」
「あー、先続けろ」
 オルトと同じ軍人であったときから、ポーは『優等生』だった。ほんの少しも手抜かりを許さず、常に完璧に役目を果たすよう、厳しく自律していた。今は主を守ること――“ローレンシアを守ること”がポーの役目なのだ。
「ロビン少年はわが主ローレンシア様のお邸に侵入し、先の大戦でディヴィーナ公国に軍を出したのは誰なのか確かめたいと言っていました。オルト、何か心当たりは?」
 ポーは腕を組んでオルトを見据える。
「ロビンの出身がディヴィーナだとは聞いていたが……生憎俺もそれ以上のことは知らねェよ。訳ありには見えたがな。お姫さんが言うにはお友だちだそうだが」
「つまり、アンジェラ姫もロビン少年についてよくご存知だというわけではないと」
「多分な。大体、お姫さんはお姫さんで他に目的があってサンマリアまで来たんだろ。ロビンのことに気付いてたとは思えねェな」
「……ロビン少年は今どこに?」
 オルトは大きく溜息を吐いてみせた。
「昨日、王都に帰っちまったよ。お姫さんと一緒にな」
「それをそのまま見送ったのですか」
「馬鹿言え。ユシードに情報は渡した」
 貴族の面倒事には関わりたくもない。オルトが深入りすべき場面ではなかった。
 しかし、ポーは違った。
「覚えていますかオルト。九年前に起こった『砦の瑕の戦い』を。ディヴィーナが滅んだのは、ちょうどそれと同じ年だったようです」
「あの頃か……」
 オルトにとっては、あまり思い出したくない記憶だった。
 サンマリアの北に横たわるノア山脈の向こう側には、かつてディヴィーナ公国という小さな国があった。そしてその隣国がマイリージアである。ディヴィーナとマイリージアは、北方の大国ルートバニカの勢力からラース山脈という自然の要塞によって守られていた。
 しかし、そのラース山脈には一つだけ問題があった。山脈越えに使われていた通り道が、そのまま敵の進軍経路として狙われていたのだ。そして、山脈の唯一の急所――『砦の瑕』を守るため、マイリージアを始めとする反ルートバニカの国々が戦ったのが、オルトやポーも従軍していた『砦の瑕の戦い』である。
「砦の瑕が破られたとき、マイリージアは領土の半分を、そしてディヴィーナは国そのものを失いました。しかし、どの文献をあたっても、ローレンシア様がディヴィーナに出兵したという記録はありません。そんな真似をなさるはずがない」
「そんなことをする意味もねェな。俺たちは砦の瑕を守るために戦ってた」
 ポーは立ち上がって窓辺まで進み、オルトに背を向けた。
「今更、ディヴィーナの者が一体なのを企むというのか……」
 堅く目を瞑る。館でのロビンが思い浮かんだ。ポーが剣を振り上げても、あの少年は逃げようとはしていなかった。
 窓の外はもう暗い。訓練を終えた兵士たちが一人、二人と隊舎へ戻ってくる時間だった。


 オルトは戸棚から酒瓶を取り出して、グラスをポーに差し出した。窓枠に寄りかかり、酒をついでやる。
「お前は本当、悩むのが好きな質だな。領主に仕えてちったァ楽になったかと思いきや、する必要もねェ心配事抱えてんだからよ」
「どういう意味です?」
 オルトからの酒を受けながら、ポーは眉根を寄せた。
 自分でも酒を飲みながら、オルトは「昔から言ってんだろうが、優等生ぶんなって」と言い放つ。
「ロビンについてはユシードに知らせた。あとは向こうでどうにかするだろうよ。お前はこっちでやることがあんだろが。違うか?」
「何を悠長な……ロビン少年の目的が祖国を滅ぼされたことに対する復讐だったらどうするんです」
「だとしたら、それこそお前の仕事じゃねェだろう。誓約に背くつもりか? そんな馬鹿な真似はしないよな」
「当然です。私は私の誓約を破ることは決してしない」
 それを聞いたオルトはにやりと笑って、「そういえばな」と話題を変えた。
「お前の甥っ子のことなんだけどなァ」
「……レオニードがどうかしたのですか」
 ポーが今度は何だ、とでも言いたげに顔をしかめる。オルトは一度自分の机に戻って引き出しをあけ、取り出したものをポーに手渡した。
 アンジェラから預かった、ローレンシアへの手紙である。ポーは差出人と宛名を確認すると、オルトにそれを掲げてみせた。
「中身がどんな内容か……いいえ、結構。また甥が何か無礼なことをしでかしたんでしょう。しかも姫君に対して」
「ちげぇよ馬鹿。そんなことであのお姫さんがいちいち苦情なんか書くかよ。お前と甥っ子の――バーリントン家の誓約に関わることだ」
 そしてレオが王都に向かったことを告げると、ポーは絶句して手の中にある手紙に視線を落とした。顔から血の気が失せていた。
 額に手を当て、呟くように言う。
「あの子は――本当に、父親に似てしまった。全くなんということを……」
「“バーリントン家の者は、主の許しがない限り、サンマリアの街を出てはならない”……だったか。ポー、お前はこの誓約の意味を知ってんのか?」
「バーリントン家の誓約はそう古いものではありません。誓約が成ったのは、テールが死んだあとのことです」
 オルトにはその名前に聞き覚えがあった。
「テール……そりゃ、あのテール・バーリントンか? 『砦の瑕』で戦死した……」
「他に誰がいるんです」
 ぴしゃりとポーが言った。
「テール・バーリントンは……私の戦友であり、義兄でした。レオニードの父親でもあります。彼の死後、ローレンシア様の命によってバーリントン家の誓約は作られたのです」
「分かんねェな。テールが死ぬと、何でサンマリアから出ちゃいけねェんだ」
「理由は分かりません。何故ローレンシア様がそうお命じになったのかも。しかし、私はこれまで“ローレンシア様をお守りする”という誓約と、バーリントン家に課せられた誓約、どちらも守ってきました」
 そこでポーは口をつぐんだ。バーリントン家の誓約は、ポーにも理由は分からないものだ。だが、その契機となったのはおそらくテールの死だった。
「危ねェことが、外にはあるってことかもな」
 オルトは黙り込んだポーの横顔を眺めていた。酒を一口分、呷る。
「……だが、誓約は必ず守らなきゃならねェ。お前までサンマリアを離れるわけにはいかねェだろ」
「これはバーリントン家の問題です。放ってはおけません」
「ついさっき自分で言ってたじゃねェか。『私は私の誓いを破ることは決してしない』ってよ」
 ポーは横目でオルトを睨んだ。まんまと言質を取られていたのだ。
 オルトは飄々とした態度で、酒瓶の口をポーに向けた。それをグラスで受けたポーは、しかしすぐには飲もうとはしなかった。
「外には危ないことがあるとついさっき言ったのはどなただったでしょうね」
「嫌味な奴だな。情報はちゃんと流すって言ってんだろ」
「ユシードに報告を入れたところで誰がそれを王都へ伝えてくれると言うのですか」
「ミラージュの姉ちゃんがいんだよ、あそこには。それとまあ……俺の元部下とか、いろいろ」
 ポーの眉が吊り上がる。
「はっきりなさい、オルト。いい加減なことを言うとただでは済ませません」
「あー、分かったから剣から手を離せよ。ミラージュの姉ちゃんのことはお前だって知ってんだろうが」
 それでも不服そうなポーに、オルトは重ねて言った。
「少しは甥っ子のことを信じてやれよ、ポー。他の誰でもない、あのテール隊長の息子だぞ」
「テールには思慮分別がありましたがレオニードにはそれがありません。無鉄砲なだけでは自分の身すら守れない」
 ポーはそっけなく言うと、グラスの酒を一気に飲み干した。
「オルト」
「何だよ」
「レオニードがサンマリアから出ていくことになった事情をもう少し詳しく教えてもらえますか。何にせよ、ローレンシア様にご報告しなければなりません」
「俺は構わねぇが……いいのか?」
 報告すれば、何かしらの処分が下ることもあるかもしれない。しかしポーははっきりと頷いた。
「誓われた以上、どんな誓約にも必ず意味はありますから」



 (第一章「小国」 終)

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