第二章◆王都
01

 シャーレはにこ、と笑った。
 笑みを向けられたのは旅装束の若い男である。
「対応が遅れてしまってすみませんでした。連絡はクリアさんから受け取っていたんですが、何分関所外にいまして」
 シャーレが職場に出勤したのはつい先程のことだった。同僚の兵士と顔を合わせるなり、取調室に行くように言われたのだ。そして、その取調室でシャーレを待っていたのが身元不詳の若い男――サザレだった。
 ここネイアン地方、ユシード東関所はとある事情で隊長不在のまま、日々の仕事を熟している。シャーレの担当は出入国に関する諸事だ。
 同僚に渡された書類に目を落とすと、端のほうに走り書きがしてある。
 ――当人は連れと逸れたと主張している。
 この場合、当人とはサザレのことである。
「サザレさん。お連れの方というのは、クリアさんで間違いないんですよね?」
「……はい。その通りです」
 サザレは恐縮して答えた。旅路に汚れた上着を脱ぎもせず、項垂れるようにして丸椅子に座っている。
「この国には明け方お着きになったんですよね。いつ、逸れたんですか?」
「さあ、いつだったか……気が付いたら姿が見えなくなっていました。まあいつものことです」
「それでサザレさんは身元不詳で取調室行きだったんですね。俺がいれば、こんなにお引止めすることもなかったんですが……本当に申し訳ありません」
 頭を下げたシャーレに、サザレは居心地悪そうに視線を向ける。
「あなたは、その……」
「シャーレと言います」
「あ……はい。シャーレさんは、あいつと――クリアとは、どういう……」
 シャーレはいくどか瞬きを繰り返した。サザレの口調はどことなく相手の様子を横目で窺うような、慎重さと不信感とが混ざり合ったものだった。
「ああ、クリアさんはユシードに時々いらっしゃいますから。いつもお世話になっているんですよ」
 シャーレはにこやかに答えた。
「クリアはこの国の出身なんですか?」
「それは違うでしょうね。あの人は流れ者ですし」
 シャーレが出身国を尋ねると、サザレは逡巡したあと、サジェ国です、と答えた。
 サジェ国は青い海の恵み豊かな国だ。シャーレはそう耳にしていたが、実際に行ったことはない。随分と遠い国へ足を運んでいるのだな、と彼の知り合いを思い浮かべた。
 と同時に、目の前の男に対して少々興味が湧いた。
「…サザレさんはサジェ国で何をしておられたんですか? 商売で旅を?」
「まあ、そんなものです」
 サザレはそっけないともいえる態度で、余計なことは喋りたくないようだった。
「そうですか。――入国のことなのですが」
 シャーレは書類を捲った。
「数日後に、王都のほうで供養祭という催事があるんです。その次の日は終戦記念日になっていまして。供養祭は先代国王の弔事ですからしめやかに行われるんですが、終戦記念日のほうはまあ、お祭りなのでとても賑やかなんです。他国からも商人が来たりします」
「はあ、そうなんですか」
「それで今、各関所はぴりぴりしているんですよ。出入国が多くなるので」
 苦笑したシャーレに、「ああ成程」と頷いて見せる。シャーレが来る前にサザレを取り調べた兵士は妙に強張った表情をしていた。
「そのせいで、と言ったら言い訳になってしまうんですが、皆普段より気を張って仕事をしています。だから今回のサザレさんのようなこともあったりするんです」
「それはまあ……仕方ないですね。お仕事ですから」
「そう言っていただけると助かります」
 サザレと向かい合うよう机を挟み、椅子に座る。
「このところ、入国者が増えているんです。催事が終わるまでこの調子でしょうね」
 サザレが微かに首を傾げる。
「そんなに大きな催しなんですか。その、供養祭というのは」
「先代が亡くなって七年目の節目に行われるものですから。これが終わって、現国王は本当に王位を継いだと見なされるようになるんです」
「では今までは……」
「仮の王様、とでも言えばいいんですかね。とにかく、これから本格的に新しい治世が始まるんです」
「……何だか大変なときに来てしまったみたいですね」
 サザレは黒い手袋をした両手を膝の上に置いた。
「クリアさんは、この時期を選んで来たんじゃないんでしょうか。その辺りのことは……」
「全く聞いていません」
 きっぱりとした返事にシャーレは思わず笑った。サザレはどうも、自分勝手な連れに振り回されているらしい。
「クリアさんも相変わらずですね。旅の途中、色々大変だったんじゃないですか」
「大変――でした」
 噛み締めるように言う。サザレの連れは旅商人の用心棒などを引き受けることで生計を立てていた。それには当然、様々な危険が付きまとう。
「あいつは旅に慣れているから平気なんでしょうが……俺はそういう荒事は全く駄目ですから」
「駄目なんですか?」
「俺は、ただの医者ですから」
 すっとサザレは顔を上げる。

 いやに――目の色が薄い。

 シャーレが思ったのはまずそれだった。珍しい青紫色の目だ。
 次いでシャーレを驚かせたのはサザレの言った医者という言葉だった。
 この国は大戦があったために医者の数が少なく、貴重な存在となっている。幼い頃はともかく、大きな病気や怪我をせずに育ったシャーレにとって、医者という単語すら馴染みがない。
 サザレはおそらく、サジェ国でも医者を生業としてきたに違いない。
 書類に『医者』の文字が追加された。
「サザレさん、お医者様だったんですね」
「一応、そうです」
「この国は医者不足ですから、きっとどこに行っても歓迎されますよ」
 その言葉にも、サザレはぎこちなく頷くだけだった。
 連れのクリアと合流したいというサザレに、シャーレは案内役を買って出た。ユシードの街でクリアが行きそうな場所には心当たりがある。
 一端、取調室を出て行ったシャーレはそう間を置くことなく戻ってきて、片手で持てるほどの小包をサザレに手渡した。
「これをクリアさんに渡してください。もしかしたら必要ないのかもしれませんが、念のためということで」
「はあ」
「中身はクリアさんに聞けば分かります」
 シャーレは取調室の扉を開けてサザレを促した。
「じゃあご案内します。ああ、お荷物はお持ちしますね」
「シャーレさん、あいつがどこにいるか、分かるんですか?」
 サザレの荷物は鞄が一つだけだった。それをシャーレにとられて手持無沙汰になったサザレは、だらりと両腕を体の横に垂らして尋ねた。
「ええ、多分『夜屋敷』ですよ」
「夜屋敷?」
「ご存じないですか。あの有名な――『魔術師』ミラージュ様のお屋敷です」




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